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The Art Notes to the Swan of Tuonela トゥオネラの白鳥に捧ぐ鑑賞ノート
死の國トゥオネラには 黒い水が流れる川がめぐり その水辺を白鳥が 荘厳にゆっくりと進んでいる
DATE: 2009/11/10(火)   CATEGORY: 勅使川原三郎
勅使川原三郎《鏡と音楽》
(あとからきちんとまとめる・・・記事ばっかりにならないよう、がんばろう)

2009.9.26 新国立劇場 中劇場



まずは、紫綬褒章受章おめでとうございます!

80年代後半からずっと、全部ではありませんがほとんどの舞台を拝見しているので、勅使川原三郎さんの舞台を観ることは自分の記憶の中に静かに潜ってゆくような感覚があります。

オープニング、ロングコートを着たダンサー達・・・

屋外の汐留駅跡で行われた公演《月の駅》をふと思い出しました。当時、日本ではまだ公開されていなかったヴィム・ヴェンダース監督の映画《ベルリン天使の詩》の美しく荘厳な音楽とともに(とにかく、いつもいつも選曲が素晴らしい)、プラットフォームの屋根の上からロングコートをまとったダンサーが数人現れた時の衝撃。夜空をキャンバスに描かれる幻想の、なんという麗しさ! 夜風が頬を結晶化するようにゾクっと鋭く過ぎた感覚を今でも覚えています。屋根の下ではダンサーの体を火花が飾り・・・『銀河鉄道の夜』の哀感が胸にせまってきたものです。

ダンサーが数回、横に倒れました。しっかり床に倒れるのではなく、ちょうど横座りの位置で静止。

この倒れる動きは初期の舞台での美しさの筆頭。自転車に乗ったまま倒れるシーンも郷愁漂う、風情ある場面でした。この倒れる動きは、男性ダンサー数人と宮田佳さんの組み合わせが壮絶なまでに格好良かったです。当時は美術大学だったせいもあるのかまわりは暗黒舞踏一色。弟子入りする人や裏方としてお手伝いする友人も多かったです。わたしはというといちおう、一通り見てはみたものの、暗黒系はどうしても生理的に受け付けることが出来ず(メソッドの曖昧さに対する疑念)、それもあって、勅使川原さんの舞台(新しいメソッドが生まれる現場)は孤高に美しい芸術として胸にせまってきました。その象徴のひとつがこの一連の倒れる動き。現代、という尖端に倒れることで立ち続ける強い意志を感じました・・・

ひとりのダンサーがうつぶせの状態で、キャスター付きの板のようなものに乗り舞台をにょろにょろと横切るシーンはグレゴール・ザムザのようで、これまでの舞台にはみられなかった生理的に禍々しい気配が一瞬。

大きなタンカーの、船底にいるようなボイラー音とノイズ。一方で装飾的なバロック音楽。明滅する光の中に佇むダンサーの小暗さ、コントラストが強いせいで時折、紙人形が動いている錯覚もあり・・・。幻灯機のように映し出される影絵の郷愁も手伝って、ますます記憶の底に沈んでゆく感覚を刺激する舞台でした。



宮田佳さんの不在・・・存在しないことでますます存在性を強めているかのよう。そこにはいないけれど、痕跡のようなものが時に鋭利に、時に静寂に包まれながら在り続けている。なんて、麗しい現象だろう。不在と実在との邂逅。記憶そのもののような存在。

宮田さんの天才については、日を改めてじっくり書こう。

つづく・・・
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DATE: 2005/09/21(水)   CATEGORY: 勅使川原三郎
勅使川原三郎《インダストリアル・ハワイ》
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『第2回 犀川国際アートフェスティバル』より
1987年8月1日 インクスティック芝浦ファクトリー



「インクスティック芝浦ファクトリー」・・・極めて80年代的な場所。このイベントには他に、ビデオアート、ビデオパフォーマンス、パーカッション演奏など9つの演目があり、時代性が懐かしく回想されます。なかでも黒沢美香さんのダンスはウィットがきいたイカシタ演目でした。

黒沢さんがまず(確か無音で)ひとしきりダンス。その後、黒沢さんが再度同じダンスを繰り返すのに合わせて、もうひとりのダンサーが登場し、ある所定の音楽と共に一緒に動いてゆく・・・もうひとりのダンサーの動きとは、あの、ラジオ体操だった。そう、黒沢さんのダンスは絶妙にラジオ体操をアレンジしたダンスだったのです。そして、その二人の微妙なズレが時に可笑しく、しかし、とても強く、美しい、デュエットになっていた。

勅使川原さんと黒沢さんのダンスのみが、時代のムードとは無縁の様子で佇んでいたっけ……



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プログラムシート

「“星座”という言葉はグループを統一する鍵となる思想だ。勅使川原は言う、「僕の心は地平線の彼方から、あるいは宇宙の果てにある小さな星の影から自分をみつめている」 星座の力が宿るのは、このような現代の日常と普遍との行ったり来たりの中である。前作における以上にこの日本の青年は、身振りにおいて完全に美しい。腕と上体のしなやかさ、足の動きの繊細さ。顔の表情には、その動きの軌跡の中で、瞬間のメタモルフォーズが読みとれる」……〈身振りの美しさ/瞬間の変容〉リズ・ブリュネル(上記プログラムシートより抜粋)


DATE: 2005/09/20(火)   CATEGORY: 勅使川原三郎
勅使川原三郎《月は水銀 ~傀儡王子の旅~》
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1987年7月16日~19日 スパイラルホール
構成・振付:勅使川原三郎
出演:勅使川原三郎とカンパニー



稲垣足穂と宮澤賢治の世界……
チラシは無意味に十数枚、保存してある。ポスターは一枚。



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ブックレット、端々は傷つき……(109mm×172mm)



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当日券チケット、(やはり素っ気ない)


DATE: 2005/09/17(土)   CATEGORY: 勅使川原三郎
勅使川原三郎《電気の敵》
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1987年6月12日~14日 パルコ・ステージ・ラボ

構成・振付:勅使川原三郎
出演:勅使川原三郎 他

……これはきっと今夜のきちがいじみた空気のせいだと
私は考えて月を仰いだ。月は相変わらず火花をこぼし
光の梵字は新規に入れ代わった星座のように…… イナガキ・タルホ



赤いシャツに黒いトラウザーズの少年的男たちが
ホルガー・ヒラーの音楽にのって……!



穴の空いた『人間人形時代』(稲垣足穂)に収録されていた短編
《電気の敵》
同じ名に吸い寄せられ このチラシを手にした 
この事件がなければ
ダンスやバレエに こんなにも夢中になることはなかったと思う
青いチケットも保存していたはずなのに 見あたらず・・・嗚呼……


DATE: 2005/09/11(日)   CATEGORY: 勅使川原三郎
勅使川原三郎《BONES IN PAGES》
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2005年再演版のチラシ

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1994年日本初演時のチラシ


2005.9.11 神奈川県立青少年センターホール

振付・インスタレーション:勅使川原三郎
出演:勅使川原三郎 宮田佳 佐東利穂子





暗闇……舞台下手、硝子の破片が突き出した小さなテーブルに、丸い月のように勅使川原さんの頭部が現れる。茶目健在。頁の開かれた夥しい量感を持った書物の壁、その対岸には古靴が、砂浜に押し寄せた漂流物のように沈黙している。中央には透明アクリルの壁で分断された机と椅子、その壁の尖端には一羽の鴉。その後方に、開かれた書物が方形を象るように陳列されている。上手奥には椅子の骨子が靴を履いて……

書物の存在性をそのまま空間化したような舞台。密室感とその中で広大に充実してゆく夢の破片……そこに、〈少年的〉という、生命を幾何学風に一蹴した知性が漂っている様は、嗚呼! 初演時と変わっていない! 稲垣足穂、宮澤賢治、日夏耿之介の世界観を深淵に活写してきた勅使川原さんの魅力は、まず何をおいても、少年性という知性にあると思う。

再演にあたっては、ソロではなく、女性二人(宮田佳さんはもはや無性に近いが)を交えての公演。初演をご覧になった誰もが、この点に大注目だったはず、少年性の世界にどう女性を入れ込むのかしら、、、と。宮田佳さんのご登場は、ノイズ・ミュージックのシーンで真骨頂を発揮し、《BONES IN PAGES》の世界観を小休止的に格好良く切り刻んでいた。よし、少年性は保たれている。問題は次だ、佐東利穂子さんの扱い……

「こうキタか!」誰もが心の中でそう叫んだに違いない。なんと! 勅使川原さんの分身としてご登場されたのだ。衣装も同じ、顔面には幾何学的特殊メイク、頭部は黒のニットでタイトに包んでいる。途中まで女性だとわからなかった。オペラグラスでダンサーの手をみて女性だと了解。す、すばらしすぎる演出です! ダンスそのものもすばらしかった。分身ともなると、こんなに威力を発揮するのだろうか? 少年性が二つに分割されたことで、さらに少年的遊戯感が強まっていた……感動。

鴉の後ろ姿が、少年的孤独が如何に素敵かを物語っていた……



普遍性を拒絶した身体とダンス。決して拒絶することを目指したわけではないというところに、この方の天才があるのだと思う。突然、固い土壌から生まれた青い花のように、超然と立ちつくしている。彼の見ている世界・住んでいる世界は、過去も現在も未来永劫、誰も見ることができないのだと思う。そう思わせるのに充分な程、傑出した才能だと思う。鉱物の孤独……そんな詩情を漂わせている。

クラシックバレエから出発している身体は、誰も実現できない方法でクラシックバレエに帰結している。不自然な美を極めて行く先に、自然そのものであるような美に到達するという意味において。こんなにこんなにすごいものを見ても良いのだろうか? そんな不安が身に襲ってくる程、トテツモナイ。




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初演時の素っ気ない(ぴあ)チケットが残っていた
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